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京都南座 「東京物語」 千穐楽

 
 
 7月21日 「東京物語」 京都南座公演ついに千穐楽となった。ここまで無事にやってこられた思いと、「櫓」がついに壊されるという寂しさが、この日だけはいつもない交ぜになってしまうのである。祭りの終焉...。


 場が終わっていく度にそれは実感する。舞台裏では登場を終えた小道具や、衣装などがスタッフさんによって次々に回収され、我々の前から姿を消して行くのである。表舞台は鴨川の如く淀みなく流れているのだが。


 なにはともあれ、今公演は連日多くのお客様がお越し下さり、大入りが出た程の大成功のうちに終えることができたのである。京都のお客様、あるいは京都まで足を運んで下さったお客様に感謝の気持ちでいっぱいである。本当にありがとうございました。そして舞台スタッフ並びに劇場関係者の皆様、本当にありがとうございます。


 10日後に祇園祭も終わりを迎える。マツリノオワリ...か。スーツケースを引っ張った女性が、私の目の前を横切って行った。彼女は今日、京都にやってきたのであろうか、はたまた私と同じ心境で家路を目指すのであろうか。
 コンチキチン...。やっと耳慣れした祇園のお囃子を背に、今、のぞみ28号に私は乗ろうとしている。

京都南座 「東京物語」 Vol.5

 
 
 「警官 高橋」 舞台「東京物語」(山田洋次監督 演出)の私の役である。意外にも警官役はお初なのである(ヤ○○の組員はある)。
 「映画」東京物語では、この警官役を諸角啓二郎さんという俳優さんがやられた。映画136作品に出演され、東京物語の他、宮本武蔵などにも出演され大変ご活躍された俳優さんである。そのような役をさせて頂くとは大変光栄でもあり、全くもって恐縮する次第である。


 役作りは昔、道案内をしてもらおうと訪ねた交番にいた、妙にカタブツのかわいいお巡りさん(え~自分はぁ~みたいな)をモデルの一部とさせて頂いた。


 今日は最後の「午前の部」のみの公演。午後は夏の京の町をちいさんぽ、さしずめ束の間の「京都物語」である。
 二年坂を歩いていると何処か寺で鐘をついている。千秋楽へのカウントダウンが始まったのだ...。

京都南座 「東京物語」 Vol.4

 
 
 上洛して今日で一週間である。舞台 「東京物語」はお陰様で中日(なかび)を迎えた。公演の半分に辿り着いた折り返し地点であり、一つの節目でもある。
 奇しくも祇園祭も今日は山鉾巡行というメインイベントがあり、折り返し地点に到達。今回のお仕事はまさに印象深いものとなった。


 本番前、南座の屋上へたまたま上がった時、四条河原町の交差点に最後の鉾が現れた瞬間を見届けることができた。河原町通りへ左折して消えゆくその鉾を眺めながら、南座の歴史ある舞台で今自分は生かされているのだと感慨にふけった。
 今日は「両方」の祭りに合わせるかのように京都らしい暑さが帰ってきた。

京都南座 「東京物語」 Vol.3

 
 
 早いもので京都に乗り込んで6日目となった。前半3日ほどは京都らしい厳しい暑さであったが、ここのところゲリラ雷雨があったり、昨日に至っては30℃を下回る近年稀にみる陽気で、今日も汗ばむというほどのものでない暑さなのだ。


 「早替わり」 舞台には付き物のまさに衣装替えの(役によってはかつら、メイクも伴う)ゲリラ戦である。こうなると舞台裏はドタバタは必至、特にミュージカルの舞台となると第三次世界大戦状態となる。とはいっても作品によってはこの早替わりが一つの見せ場、醍醐味というものもある。だが我々にしてみれば冷や冷やモノこの上ない。


 「東京物語」 は家庭劇らしく、ゆったりとした流れの作品である。派手さもない。舞台装置は最後まで古い一軒家であるからだ。ところが見た目とは裏腹にこの舞台設定であるが故、役によって早替えが発生し、意外に舞台裏はドタバタだったりするのである。装置が変わらないということは舞台転換が無い分、次の場面に移るのが早くなるのだから...。汗カイテマス。。


 祇園祭りの宵山。今日がピークである。ソコここで、ビールを買って貰おうと、京売り子さんのはんなりとした声が響いている。

京都南座 「東京物語」 Vol.2

 
 
 祇園祭も昨日よりメインである宵山に突入している。夕方からの四条通りの歩行者天国の賑わい振りといったらこの上ないものである。
 仕事をしながら日本の三大祭礼を目の当たりにでき、あるいは日本各地の祭りに出会えるというのは、俳優業の特典のひとつである(といってもいつもいつも祭りと仕事がセットになっているわけではない。誤解のなきように)。


 我々の多くは、地方公演や巡業を楽しみにしているものなのである。
祭りのみならず、全国各地のあらゆる文化に触れられるのは、この上ない喜びであり、芸の肥やしとなるのである(私は食文化に重きのある類である)。


 さて東京物語。舞台設定はまさに7月なのである。ビンゴ。リアルな表現の追及となった時、我々にとっては大きなアドバンテージである。なにしろ前回初演は「1月」であったのだから...。

京都南座 「東京物語」 Vol.1

 
 
 南座へ向かうにはいつも四条大橋を渡ってくるわけだが、7/13昨日から鴨川では本格的に蝉が鳴き始めた。川床に蝉の鳴き声。京の夏の主役たちが揃い踏みといったところであろうか。


 「二日落ち」 俳優につきまとう大変厄介なモノのひとつである。程よい緊張感と一定の緊迫感で迎えた初日の演技は、おおよそいわゆる「締まった」演技となって、「初日が出る」(つまり成功の範囲内で終演)と言えよう。


 ところが二日目が初日より劣ってしまうこの「二日落ち」に、ときには陥ってしまうことは「無きにしも非ず」ではなかろうか。初日を乗り越えた安心感や、妙な自信などが却って仇となってしまう。厄介である。ある程度の緊張感の持続と、客観性を持つことが演技には不可欠ではと、己にイイキカセテマス...。


 初日が出、二日落ちせず。己を信じたい。昨日よりも今日、今日よりもまた明日である。

京都南座 「東京物語」 初日

 
 
 東京は葛飾金町、個人病院を兼ねた二階建て一軒家「平山家」。時は昭和28年7月まだSLが走っていた時代である。
 

 舞台は完成した。京都のど真ん中に東京の下町の家が立っている。観客席からまだ客入れ前に一人座り眺め、なんとも不思議な思いに駈られた。まさかこんな日が来ようとは予想だにしなかった。
 
 
 初日。お芝居の世界ではこれほど特別な日はない。祭りのはじまりである。しかしそこには歓喜がただ存在するのではなく、緊張感とある種の恐怖に近い何かが(これは俳優それぞれの感覚の違いがあるが)、ない交ぜとなっているのが事実なのだ。扉を開いて出て行った先に、昨日までとは全く違った空間あるいは世界が待っているのである・・・。

 
 初日公演を終えた時、いったい自分はどうなっているのであろうか。いつも抱く感情である。
 そして今、その扉を開き大海原に飛び込んでいくのである。

京都南座 「東京物語」 Eve

 
 
 本日は公開通し舞台稽古である。いわゆる「ゲネプロ」。本番さながらの稽古ということになる。演出、スタッフサイドと俳優の緊張感は舞台初日なみに高まるのである。そして終了後、客席にて演出家よりの「最後の」ダメ出しという運びとなる。
 
 
 客席ダメ出し。この瞬間ほど芝居に対する自意識というのであろうか、何とも言えない緊張感ではないそれが、私は高まるのである(これは言葉では説明できないし、俳優おのおの感じかたは相違するのではないだろうか?)。
 
 
「東京物語」最後のダメ出し。山田洋次監督から頂くとはなんたる豪華さであろうか。夢見心地である。ダメ出し冒頭で言われた監督の逸話が印象に残った。

「寅さんこと渥美清さんが言っていたんですよね。芝居とは観客と『手を握る』ことだと。つまりお客さんと仲良くする、コミュニケートすることだと。そうすることで芝居が成り立つ、出来上がっていくんだと」
 
 
 この先歩んでいくであろう私の俳優人生において、最もシンプルで最も忘れえない「ダメ出し」いや、「訓示」を頂いた。
 さあ、新派山田組 京都南座「東京物語」 祭りのはじまり、いざ初日でござ~い!

京都南座 「東京物語」 Count Down.3

 
 
 午後2時京都へ到着。4カ月ぶりである。すかさずアイフォンを取り出し、「天気」情報の現地を「京都」へ切り替える。モチベーションがちょっと上がる瞬間だ。気温34℃。こちらの方が東京より暑さの質は厳しいと人は言う。

 
 今日はいわゆる「仕込み日」である。
 稽古はせず、スタッフさんによって舞台が作られる。それだけではない。衣装や舞台上で使われる「小道具」、かつらなど全てが仕込まれるのである。そして俳優はおのおの楽屋作りをするのである。スタッフさんにとってはもう戦争が始まっているのだが、我々にとっては「嵐の前の一瞬の静けさ」かもしれない。
 
 
 京都は祇園祭の真っ最中。なにやら何処からか、風情を思わせる鳴り物が聞こえてくる。祇園祭にあやかり、私も南座 「東京物語」生き生きと舞台に立ちたいと思うのであった。

京都南座 「東京物語」 Count Down.2

 
 
「東京物語」の稽古も今日をもって収めである。
 新派でいうと今日の稽古は「総ざらい」ということになる。なんのこっちゃ?
 つまり総仕上げ。本番通りに進めていくのである。いわゆる「ダメ出し」は稽古中には出ず、ラストまで稽古を通し、終了後「ダメ出し」が行われるのである。
 
 
「しかし、子供いうもんも、おらんなら寂しいし、おればだんだん親を邪魔にする。二つええことはないもんじゃ」
「女の子は嫁にやったらおしまいじゃ」(「東京物語」台本より)

 今作品のメインテーマであり、私が好きなセリフとお話である。大事件ではないが、人間であれば、特に日本人ならば常につきまとう事件「メインテーマ」ではなかろうか。
 
 山田監督曰く「親が訪ねてくる?めんどうくさいんですよ。そんなに愛想よく笑わないで」
 印象的な演出である。
 さあ、東京での稽古が納まった。明日はいざ京都へ!