WONDERLANDへようこそ ~二高魂~

我が母校である法政二高は、内外では通称「二高」と呼ばれている。 以降、このWonderLandの世界においても、この呼称を用いることにする。

 二高生の出で立ちについて

①「パンピー及び一部の運動部、文芸部」

オーソドックスなスタイル。伝統的黒色学ランにズボン。白シャツ、靴、鞄、コート等、自由に選択が許されている。下着についても縛りはない。

注1。「パンピー」とは二高用語で「帰宅部」を指す。一般ピープルの「ぱん」「ピー」を掛け合わせた造語。


②「①の中に存在する相当数」

シャツ➡ポロラルフローレンの白いボタンダウン。夏はラルフローレンあるいは、ラコステの白いポロシャツ(因みに襟は、しっかりおっ立てる)。

靴➡REGAL。

学生服➡ほぼオーソドックス仕様。が、実はラルフローレン仕様の者が密かに存在していた可能性も。ヘタをすると「俺はアルマーニだった」、という者すら出てきそうな勢いである。

冬コート➡DCブランド。特にバーバリー多し。

鞄➡ルイヴィトンボストンバッグ。ハンティングワールド若干存在。

下着➡柄パン等、何でもアリ。


③「硬式野球部1年生」

学生服➡オーソドックスしか許されない。

シャツ➡このノリなら同上に決まっている。

靴➡ローファーしか履いてはいけない(紐靴厳禁。意味不明。逆にここだけオシャレ先取りじゃねえか?)。

下着➡白いブリーフ限定(白のトランクスならいいのでは?という話もあるが、さして大差はないし、劇的にオシャレの問題は解消しない為、皆諦めている)。

学帽着用➡伝統である(ただし、1年生は格好の良い型をつけてはいけない)。

鞄➡黒の野球遠征専用バッグ(無駄に大きい為、通勤電車でヒンシュクを買い、苦情が出る)


④「野球部以外の運動部」

特に、バッグなどで各部の特色がみられるが、硬式野球部程の縛りは皆無。
白いブリーフを履かないだけでも天国同然である。


ちょっと待て...。野球部1年生、本当にクソ真面目に白いブリーフを履いていたのか⁉という声が聞こえてきそうである。


法政二高硬式野球部1年生には、「1分間着替え」という新入部員伝統特殊訓練なるものが、抜き打ちで実施されるのである...。


一抹の恐怖感を持たせたこの辺りで
次号へつづく

WONDERLANDへようこそ

「桐蔭学園か?それともY校か?」

「法政二高しか考えていません」

今から31年前の夏。横須賀市立馬堀中学野球部キャプテンたる私は、引退が決まったこの日、顧問の先生にこう言い切った。

私の少年時代、高校野球はスターで溢れた「花の80年代」であった。
荒木大輔さん擁する早実、水野さん擁するやまびこ打線池田、大魔神佐々木さん率いる東北、そして何といっても、K.KコンビのPL学園。

そんな中、小学4年時、夏の甲子園の神奈川代表で法政二高が出場したのである。

「HOSEI」

早実、池田、PLのユニフォームを差し置いて、少年の目にはとても斬新なデザインに映り、ひとめぼれしてしまったのである。

2年後、春のセンバツに二高が出場したのを機に、小学6年になったこの少年の憧れは、確信へと変わった。

1988年。少年の憧れはめでたく成就する。そして...


この後、この少年はアリスにも負けるとも劣らない、壮絶でヘンテコリンな世界へ引きずり込まれていくのである。メングライチギョーサン、シマスシタ、シュウゴウ、ブリーフハシロ...。
      
                                                  次号へつづく

「ノスタルジック」

 気のせいであろうか。どうも最近、私の身辺においてノスタルジックな動きを妙に感じているのである。私がそれなりに年を重ねてきた証拠であると、片付けてしまえばよい話なのであろうが...。

 2018年。夏の甲子園大会は、100回目を迎える。また、東急東横線は90周年を、更には京急電鉄が120周年を迎えるという。これら出来事だけでも、充分に人々をノスタルジーの世界に引き込むのであろうが、東急、京急の事例は私にとっては、はっきり言ってどうでもいい出来事である。だが「第100回夏の甲子園大会」に限っては、断じて素通りすることはできないのである。(それが何故なのか、親愛なる当ブログ読者には分かって頂けると思う)

 昨今、各スポーツ紙がこぞって、高校野球回顧録を連載。今までにない大ノスタルジック大会を繰り広げ、まんまとその魔界へ私を引きずり込みやがった。遠い昔、野球から足を洗ったにもかかわらず、全くこの上ない不覚である(K.Kコンビのネタは我々の世代には鉄板を通り越してもはや犯罪である)。

 先日も某有名スポーツ紙における、我が母校法政二高の偉大なる大先輩のコラムを拝見し、また、石橋貴明さんの「帝京高校野球部」なる動画を拝見してしまったことで完全にダメは押されてしまった。私も元高校球児の端くれである。こうなったら、こちらも負けてはいられない。封印を解き放とうではないか。


 理不尽、不条理の極みの時代へタイムスリップ...。次号へ続く。

「書道入門」

 親愛なる当ブログの読者の皆様、いかがお過ごしであろうか。今宵は中秋の名月である。1年などあっという間。もうすぐ記録的な雪が11月に降っちゃって、桜は来年は2月くらいに咲いて大騒ぎになるのである。時代は確実に変化している。

 モタモタしていてはいけない...。

  木内さんは、今年に入って間もなく、密かに書道に足を踏み入れていた。
  
 決して突飛な行動ではなく、心のなすがまま、門を叩いた感じが強いのである。小学1年時、たったの1年間で挫折した「お習字」。当時6級から止まったままからの「再スタート」である。あの頃、教室に向かうのが、たまらなく嫌で、字を書くことが好きにはなれなかった。
  
 今、私は、純粋に字を上手に書けるようになりたいと思っている。そして、字を書くことが、ちょっと好きになってきている。

 私の「書道」の師匠。そのお方は、私の親友のお母上である。
  

「お母さん」から「先生」へ。呼ぶ声が変った今日この頃である。

「真夏の記憶」

 夏の風物詩といえば、「甲子園大会」。などと、クーラーの効いた所で涼しい顔をしながら、軽々と口にはできぬ。夏の質というものが、過酷に変化した昨今である。 ボクシングで例えるなら、ジャブ無しのストレートの連打。おまけに、その攻撃は「予期せぬ」という枕言葉が、ついてまわる有様である。私が、学生の時分、夏の部活動は、過酷を極めていたが、昨今は死と隣り合わせといっても過言ではない。


 「練習中、水を飲んではいけない」。運動部において、おそらく、私の世代までついてまわった絶対的教訓であり、強制的ルールである。特に、野球部において、この傾向が強いのである。いや、こんな馬鹿げたことをやっていたのは、野球部をおいて他には無い、といっても過言ではない。


 野球部とは、真夏に、上着に長ズボンのユニホームを身に纏い、その上で、水を飲まずに毎日練習に励む部である。恐ろしいの一言である。Tシャツに短パンの他の運動部を、いつも羨望の眼差しで見ていたものである。そして、彼らが手にした水筒やら、タンクが輝きをもって、こちらの口の渇きのダメを押すのである。


  頭の中は、「コーラ、サイダー、オレンジジュース」。そばにある、水道の蛇口を見るにつけ、「あそこを捻ったら、コーラが存分に出てきやしないか」と妄想し、挙句の果てには、隣接のプールに目を向け、「オレンジジュースのプールに飛び込み、がぶ飲みしながら泳ぎたい」などと、愚かなる空想に耽る顛末である。これでは、練習中の集中力は、低下する一方である。


 「水を飲んではいけない」などとは、けしからぬと、世間が大騒ぎにならないものかと、当時、切に願ったものだが、「小まめに水分補給」が合言葉の時代が、ようやくやって来てくれた。来てくれたはいいが、あまりにも遅すぎた。無念の一言である。

 現在、同期、後輩を見渡せば、体は当時の面影全くなく、立派にご成長されている者多数。これが、「水を飲んではいけない」と脅され、枯渇していた集団なのか...。

 再び、当時の真夏の練習に思いを馳せる...。
 グラウンド場外に、ファールボールが飛んでいく。あるいは、「飛んでいった芝居を打つ」。それきたぞと言わんばかりに、球を追って場外へ。すると、其処ここへ、潜ませておいたペットボトルの水をがぶ飲み。


 時代は厳しく変化すれど、いつの時代も、人間とは、生き抜く術を、ちゃっかりと持っているものである。

「娘二人」

  二人の姪っ子。姉は7才、妹は4才に目出度く成長した。だが、先日、久々に叔父と再会するなり、「きゃ~~怖~い!!」などと大騒ぎしやがった。
 
 叔父「何だ?どうした?」
 姪達「おじちゃんの靴がこわ~い」

 叔父の靴のつま先が「尖がっている」のが、怖い、はたまた可笑しいというのである。 小癪なやつらめ。叔父の趣味に難癖をつけおって...。


 ともあれ、子供の成長というものは、驚くほどに早い、と思う瞬間であった。冗談の一つも言えるようになってきたのだ。


 久々に実家へ帰した日である。これら姪二人を伴い、散歩がてらに、地元のパワースポットである走水神社へ行く。叔父のお気に入りのコースを体験することも、良い勉強である。だが、道中、アップダウンのあるコースにもかかわらず、所々で競争を仕掛けられ、なかなかにハードな散策に仕立てられてしまった。
 神社に到着。少しは、へばっているであろうと思いきや、ちっともテンションが下がっていねえではないか。キッズパワー恐るべし。


 娘二人を連れて歩いていれば、傍から見れば親子の様に映るのであろう。境内の露店の方々からは、百発百中「パパ」と呼ばれる。


 上の姪「パパだあって~」
 

 言っておく。私と君たち二人の容姿は断然似ていない。私の実子であったなら、もうちょっとだけ、べっぴんさんになっていたであろうワッ八ッハ。
 それはさておき、こうして父親の真似事、勉強をさせてくれたことに、叔父は心から感謝しているのである。そして...

  顔が似ていない、怖い靴を履いた男が、少女二人をそそのかし、もしや誘拐では、との嫌疑をかけられなかったことに安堵している。

「ランニングの共」

 世間では、私の事をランニングとは、かけ離れた人種に見ているようである。ところが、たまには走ってイルのだ。時とコンディションによるのだが...。


 地方へ旅に出た際の、現地でのランニングは、なかなか楽しいものである。滞在した現地のコアな所々を、散策しながらできるのだから、まさに一石二鳥。ビールもうまさ倍増である。 
 
 
 しかし、地元でのランニングとなると、残念ながらそうはいかない...。ランニングとは、決して100%楽しいものではないというのがそもそもの持論である。そこには、必ず苦しみとの戦いが伴う。地方ならば、山河の美しい景色が、牛の鳴き声や鳥達の囀りが、癒しのビジュアルとなって、完走へと誘ってくれる。だが、都会の喧騒の中での、しかも、慣れ親しめたのはいいものの、もはや「慣れきってしまってどうにもならない」地元のコースを、

 「苦しむことなく、爽快に、楽しく且つ、笑顔で完走せよ」というのは、どだい無理な話なのである。
 
 
 共。それは、りんごのマーク「I何某」。都会のアスファルトを、孤独に、ただひたすらに行く私を、時にはミュージックで、或はラジオでサポートしてくれている。いまのところの必須最強アイテムである。


 ひょっとしたら、思わずニタニタ、或は、ニヤつきながら走っていることがあるかもしれない。すれ違う老若男女の皆様、気にせずやり過ごして頂きたい。道中、ちょっと苦しくなってきたA地点に差し掛かり、共の力を得て、そのままB地点へ持ち込み、心臓破りのC地点をこれも難なく乗り切って、見事に最後まで爽快に、そして笑顔で完走を計るのである。


 「そんなランニングになればいいんだが」と、ほぼ叶わぬ思いを抱きながらシューズを履いている自分がいる。

「免許更新」

 時の流れの早さというものを、自動車免許証の更新の度に、感じずにはいられないものである。5年という年月の流れとは、それほどのものであるのだろう。


 「二俣川試験場」。高校生当時、免許最終試験を受ける為に赴いて以来である。試験場への道中も、試験場内の様子も、全くもって記憶を失っている。


 このたび、私は「優良運転者」となっての更新である(けっして自慢はしていないが)。にもかかわらず、30分の講習を受けねばならぬことに、一抹の不満を抱いた。が、教室へ入るなり、

 「優良運転者おめでとうございます!」

 ・・・。悪い気分はしないものである。そんな心持ちになっては、講習後、「SDカード」なるゴールド免許取得者のみが与えられる勲章を、640円を支払ってまでも購入してしまったのはいうまでもない。


 手渡された新免許証のゴールドが光り輝いている。だが、「平成32年まで有効」の32の二文字に面食らっているのは私だけではあるまい...。


「再始動」  

 懐かしい場所に帰って来た心持である。と同時に、ひとつ欠けてしまっていたライフワークに戻ることができた喜びと、ブログを再開するにつけ、どんなことを書こうかという毎日の思考錯誤と葛藤が、またやってくるのだという思いが、ない交ぜになっているのが本音である。

 あるべきものがなくなった時、人はある意味、煩わしさがなくなった説明不能の安堵感を抱く瞬間がある。
 

 「嗚呼、開放された」というものであろうか。

 ブログを中断して約7ヶ月。今日に至るまで、私に起こった出来事をお伝え出来なかったことは、改めてもったいなかったと思うのである。そして、書くことを休んでしまったことに、自分自身に怒りを感じている。


 ブログを中断している間、日々起こる出来事に対して、頭の中でブログを書いていた自分がいた。


  戻ってくることができて、良かった。さあ、書くぞ~。明日から大阪だー。


  世の中は今日、エイプリルフール。私のこの文面に嘘偽りはないゾと。

お詫び

 木内宣輝のブログをご愛読して下さっていました皆様、ご無沙汰致しております。突然のブログ休止から、約7ヶ月。十分にサボらさせていただきました。本当に申し訳ありませんでした。
 大変長らくお待たせ致しました。本日よりブログを再開させていただきます。今後とも、ご愛顧を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。