気のせいであろうか。どうも最近、私の身辺においてノスタルジックな動きを妙に感じているのである。私がそれなりに年を重ねてきた証拠であると、片付けてしまえばよい話なのであろうが...。
2018年。夏の甲子園大会は、100回目を迎える。また、東急東横線は90周年を、更には京急電鉄が120周年を迎えるという。これら出来事だけでも、充分に人々をノスタルジーの世界に引き込むのであろうが、東急、京急の事例は私にとっては、はっきり言ってどうでもいい出来事である。だが「第100回夏の甲子園大会」に限っては、断じて素通りすることはできないのである。(それが何故なのか、親愛なる当ブログ読者には分かって頂けると思う)
昨今、各スポーツ紙がこぞって、高校野球回顧録を連載。今までにない大ノスタルジック大会を繰り広げ、まんまとその魔界へ私を引きずり込みやがった。遠い昔、野球から足を洗ったにもかかわらず、全くこの上ない不覚である(K.Kコンビのネタは我々の世代には鉄板を通り越してもはや犯罪である)。
先日も某有名スポーツ紙における、我が母校法政二高の偉大なる大先輩のコラムを拝見し、また、石橋貴明さんの「帝京高校野球部」なる動画を拝見してしまったことで完全にダメは押されてしまった。私も元高校球児の端くれである。こうなったら、こちらも負けてはいられない。封印を解き放とうではないか。
理不尽、不条理の極みの時代へタイムスリップ...。次号へ続く。