「今日はこれを使って下さい」と、先生より稽古用の張り扇を差し出された。そして、目の前には本日の稽古のお題目となるであろう台本が用意されてある。
「宮本武蔵 鍋蓋試合」 講談ではポピュラーなネタのひとつであるという。はて、そんな試合あったっけ?私も吉川英治著 「宮本武蔵」を読破致した端くれである。すでに消えかかっていた記憶を手繰り寄せ、いや、そんな戦いは無かったはずだと唸っているやいなや、稽古が始まってしまった。
「この佐々木巌流は燕返しの・・・云々」 先生曰く、「お話の冒頭は一発張り扇を入れて下さい」ビシッ。
「武蔵は敵討ちの旅に出たわけでございます」 先生曰く、「語尾は上げて下さい」
いずれも講談のスタンダードな手法です、と先生。とにかく、リズムをもって、巧みに張り扇を叩き入れ、いかにお話を劇的に膨らませるかが、カギであるのだ。台本を先生の後に続き、見様見真似でひたすら読み上げていく。
稽古の大詰めは、参加者一人ずつ独演を披露。私も人生初の講談師になりきって、戸惑いと、初見参からくる遠慮を滲ませた張り扇不発弾を、ビシバシと叩き込ませて頂いた。
さて、この鍋蓋試合、やはり宮本武蔵と塚原卜伝(ぼくでん)という剣法史上、合間見えることのない両達人の架空のエピソード、夢の共演なのである(講談ワールド)。
「講釈師、見て来たような嘘をつき」 [講釈師、扇で嘘を叩きだし」
嘘のことも本当にしてしまう話芸のマジック、講談。
役者もお客様に笑って、あるいは泣いて頂く為に、ある意味、一生懸命に嘘をついているのかと。嘘ついたらハリセンボン・・・いやいや違う、改めてハリセンビシバシ。
なにはともあれ、講談。芝居をする上で大変勉強になる事があり、 新鮮かつ楽しい心持ちにして頂いた。
いささか肝心な事を忘れてしまっていた。話は全くもって飛ぶが、私の本職である次回作 舞台「三婆(さんばば)」(有吉佐和子作、斎藤雅文演出)は、稽古場での最終日「総ざらい」(所謂、総稽古を新派ではこう言う)を迎えた。
緊張感がありつつも、演者皆さんがこれまで練り上げてこられたキャラクターが一同に会し、爆笑の場面が随所に見られた総ざらいとなった。
こののち、舞台稽古(GP)、そして戸田市文化会館を皮切りに、いよいよ旅へ赴くこととなる。乞うご期待。