My Middle Name Is Money | Newsletter No.011

 
    My Middle Name Is Money.
 
 
 
■ あるとき中核都市の経済人が集まる会に顔を出した。
 非公式のそれで、座敷で会食をして親睦を深めるといった類のものである。
 その都市の芸妓さんたちが呼ばれる。
 軽く踊りを見せたり酌をしたりもするのだが、ある経済人が、いずれはニューヨークで公演をやったらどうだろう、というような事を言われた。
 ブロードウェイのことを指しているとおもわれる。
 威勢のいい話だなと一同は笑う。
 

シナトラのカツラ | Newsletter No.010

 
    シナトラのカツラ。
 
 
 
■ 棚から一冊の本が落ちてきて、ぱらぱらめくっていた。
 Mike Royko の「男のコラム」(井上一馬訳:河出文庫版)である。
 この本については何年か前の緑坂に書いたことがあって、再掲してみる。
 
 
■ シカゴ・トリビューン誌のコラムニスト、マイク・ロイコの作品集「男のコラム」(河出文庫)を一気に読んだ。
 ロイコは、1932年シカゴに生まれる。高校中退。
 
 
 
■「男のコラム」という題名がなんとも、ではあるのだが、この毒舌とユーモアのセンスは、アメリカの最も良質な庶民の目線である。
 NYに対する子供じみた憎悪。それはシカゴのひとたちは皆同じだと。
 社会運動を熱心にやっていた頃のジェーン・フォンダへの揶揄。
 そして、シナトラがロイコのコラムに対して圧力をかけてきたことへの返答が、例えば以下の如し。
 
○もし君が自分のまわりにはチンピラがひとりもいないというのであれば私はその言葉を素直に信じて遺憾の意を表明したい。もちろんあの手紙を運んできたチンピラにも同じように遺憾の意を表明する。
(「男のコラム」マイク・ロイコ:井上一馬訳:河出文庫:83頁)
 
 つまりまあ、シナトラがロイコに対して記事の訂正を求め、カツラじゃないよ訂正したまえと言ってきた訳である。もし髪をひっぱっても動かなかったら、10万ドル出せよな、コラ。
 それに対してロイコは、問題はもし髪が動いてしまったらどうするかと提案する。
 
○10万ドルのことは忘れてもらって構わない。その代わりに君の蝶ネクタイをひとつと「ブルースの誕生」のレコード原版を貰いたい。いまでも私は、あれが君の最高の曲だと思っている。
(前掲:85頁)
 
 
 
■ エバァ・ガードナーとの恋に疲れていた頃のシナトラは、男の色気があった。ロイコはそれを言っているのである。当時、皆シナトラの格好を真似していた。
 一派をなし、ある意味でボスになってしまったシナトラに対し、一歩も引かないで自分の分野で勝負をかけている。
 シカゴという街。そこで生まれたひとつの文化。
 これは、雑誌「ニューヨーカー」と並べて眺めるとまた違った味がでてくる。

塩だ | Newsletter No.009

 
    塩だ。
 
 
 
■ いつだったか「シンデレラ・リバティー」という映画をみた。
 今からもう40年も前、1974年の作品である。
 ゴッド・ファーザーで好演したジェームス・カーンが、うら寂しい水兵の役を演じている。
 結婚もせず子どもも作らず、水兵のままでいい歳になってしまった男。
 他に行き場がなかった男。
 物語は、場末の酒場を稼ぎ場とする子持ちの娼婦と、帰港した水兵との交情を描いたものだが、どちらかと言えば、連れ子の混血少年との関係が主軸になっていた。
 擬似的な親子。父と息子との関係はいわく言いがたいものがあって、少年が11歳という設定が微妙なところだった。
 これが9歳でも16歳でもまた違った付き合いになっていただろう。
 可愛らしい顔の子役を使っていないところがちょっと苦い。
 魚釣りをしたり自転車で一緒に走ったり。男、水兵は擬似的な親父の役柄に次第に没頭していく。
 母親のことをひとりの女として眺めようと努力したり。背伸びをしていても、少年は少年である。

俺の領分 | Newsletter No.009

 
    俺の領分。
 
 
 
■ ブルックリンの酒場で知り合った退役軍人を部屋まで送っていって、これ以上立ち入るなと釘を刺される。
 元軍人が死に、その部屋を片付けると、そこは軍隊式に見事に生理整頓されていた。
 古い皮の鞄の中から写真と手紙の束が出てきた。
 そこにはよれよれになる前、凛々しい青年下士官と、東洋人と見受けられる女性の結婚式の写真が残っていた。
 ヨコスカ。と消印にはある。