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ホリー・ゴライトリー、トラベリング | Newsletter No.002

 
    - Breakfast at Tiffany's 3.-
     ホリー・ゴライトリー、トラベリング。
 
 
 
■「ティファニーで朝食を」の映画が封切られた1961年は、J・Fケネディが大統領に就任した年である。
 映画にも小説にも直接関係はないが、どんな時代だったをすこし書いてみる。
 61年4月、CIAが組織した亡命武装ゲリラ1400名がキューバのビックス湾に上陸。
 首都ハバナから90マイルのところにある入江である。
 そこからゲリラ戦を行いカストロ政権を転覆しようとするが、失敗。
 三日で鎮圧される。
 当時ケネディは、キューバに侵攻する計画をマスコミの協力の下、国民には知らせていなかった。
 東西冷戦最大の危機、全面核戦争の手前までいった、いわゆる「キューバ危機」は翌62年10月。このビックス湾事件は、その前哨戦としての位置づけになる。
 
 
 
■ 話は飛ぶが、ヒッチコックの「北北西へ進路を取れ」も、冷戦構造を前提とした映画であった。ヒッチコックにはダブル・スパイのブロンド美人という設定が多い。
 しかも敵方の情婦であるという、いささか屈折した役柄が与えられ、大人というのは一筋縄ではいかないと私などは思っていたが、後から考えるにこれは、ヒッチコック特有の資質ないしは嗜虐であるともいえる。
 今微妙に思い出すのは、個室付の寝台特急で、ケーリー・グラントがヒロイン、エバァ・マリー・セイントの鞄を点検する。

サンダーバード号で見た南部 | Newsletter No.002

 
    - Breakfast at Tiffany's 4 -
     サンダーバード号で見た南部。
 
 
 
「私はいつでも自分の住んだことのある場所、つまり、そういう家とか、その家の住所とかに心ひかれるのである。たとえば、東七十丁目にある褐色砂岩でつくった建物であるが、そこに私はこんどの戦争の初めの頃、ニューヨークにおける最初の私の部屋を持った」
(「ティファニーで朝食を」新潮社文庫版:龍口直太郎訳:9頁)
 
 
 
■ すぐれた小説というのは、その書き出しで決まる。
 というよりも、ほんの数行で独特の世界に引きずりこんでしまうものである。 覚えているのはいくつもあるが、例えばチャンドラーの「さらば愛しき女よ」という中篇の出だしは確かこうだった。
「セントラル街には、黒人だけが住んでいるのではなかった。白人もまだ住んでいた」
 微細なところで違うかも知れないが、ほぼそういうことにしておく。
 例えばNYのハーレムが、1658年に作られた人口85万人の白人のための街、都市だったものが、次第に黒人やスパニッシュが集まって住むようになり、街の性質と外観が変わってゆくといったことを踏まえて読むと、成程そうしたことかと雰囲気が伝わる。
 東京もそうだが、都市というのは動いているものだからだ。
 
 
 
■ 東七十丁目というと、イースト70。
 真ん中にセントラル・パークを挟んでのアップ・タウンである。
 近くにはホイットニーやフリック美術館がある。
 マディソン街を抜けてゆけば、ティファニーまではそう遠くもない。
 原作でも、この辺りは高級アパートとして描かれている。現実にはそうでなくても、NYでは所番地がある意味を持つのだった。
 ブロックを下ってゆくに従って、あるいは通りを一本左右に逸れただけで、歩いているひとたちの肌の色と服装が異なる。場合によっては言葉もそうだ。
 映画の冒頭で、ヘプバーンはNYのタクシー、イエローキャブから降り立ってくる。
 早朝だ。原作の小説にこのシーンはない。