- Breakfast at Tiffany's 4 -
サンダーバード号で見た南部。
「私はいつでも自分の住んだことのある場所、つまり、そういう家とか、その家の住所とかに心ひかれるのである。たとえば、東七十丁目にある褐色砂岩でつくった建物であるが、そこに私はこんどの戦争の初めの頃、ニューヨークにおける最初の私の部屋を持った」
(「ティファニーで朝食を」新潮社文庫版:龍口直太郎訳:9頁)
■ すぐれた小説というのは、その書き出しで決まる。
というよりも、ほんの数行で独特の世界に引きずりこんでしまうものである。 覚えているのはいくつもあるが、例えばチャンドラーの「さらば愛しき女よ」という中篇の出だしは確かこうだった。
「セントラル街には、黒人だけが住んでいるのではなかった。白人もまだ住んでいた」
微細なところで違うかも知れないが、ほぼそういうことにしておく。
例えばNYのハーレムが、1658年に作られた人口85万人の白人のための街、都市だったものが、次第に黒人やスパニッシュが集まって住むようになり、街の性質と外観が変わってゆくといったことを踏まえて読むと、成程そうしたことかと雰囲気が伝わる。
東京もそうだが、都市というのは動いているものだからだ。
■ 東七十丁目というと、イースト70。
真ん中にセントラル・パークを挟んでのアップ・タウンである。
近くにはホイットニーやフリック美術館がある。
マディソン街を抜けてゆけば、ティファニーまではそう遠くもない。
原作でも、この辺りは高級アパートとして描かれている。現実にはそうでなくても、NYでは所番地がある意味を持つのだった。
ブロックを下ってゆくに従って、あるいは通りを一本左右に逸れただけで、歩いているひとたちの肌の色と服装が異なる。場合によっては言葉もそうだ。
映画の冒頭で、ヘプバーンはNYのタクシー、イエローキャブから降り立ってくる。
早朝だ。原作の小説にこのシーンはない。
この続きは 甘く苦い島 | Download Print / Back Number で読むことができます。